少し前(これを書いているのは 6 月末)に、2期生が二人、在校生たちの座談会にきて くれました。その会で、忘れられない学園時代の想い出として彼らが語ってくれたのは、 「表現祭」が「自分たちの内面的な無形の思いを有形のものとして自由に表現し、外部者に 対して公表できる」ことの素晴らしさと誇らしさでした。私は、彼らの時代から4半世紀以 上を経て、しかも当時は想像もできなかったコロナ禍という現代にあっても、彼らの思い がちゃんと引き継がれていることに感動を覚えました(実は今回の表現祭実行委員長も座 談会に参加していて、大きく首肯しながら聞いていたのです)。小林秀雄氏は伝統について、 素晴らしい(と私は思う)次の言葉を残しています。長くなりますが(公文生には読んでも らいたいので)あえて引用します(小林秀雄「伝統について」『無常ということ』所収)。
「伝 統と習慣とは、見たところ大変よく似ているが、次の点でまるで異なったものだ。僕等が無 自覚で怠惰でいる時、習慣の力は最大であるが、伝統の力が最大となるのは、伝統を回復し ようとする僕等の努力と自覚においてである。習慣はわざわざ見付け出して、信じるとい うような必要は少しもないものだが、伝統は、見付け出して信じてはじめて現れるものだ ~中略~伝統は、これを日に新たに救い出さなければ、ないものなのである。それは努力を 要する仕事なのであり、従って、危険や失敗を常に伴った。これからも常にそうだろう」創 立以来 30 年という(神奈川県の私学では 2 番目に)短い公文国際学園の歴史の中で、それ でも卒業生を含むすべての学園生たちが「見付け出して信じて」現れた学園の伝統を、「失 う危険や失敗を常に伴」いながらも懸命に努力し続け、引き継いできた。そのことの「誇る べき意味」を、2 期生の表現祭を高く評価する言葉によってあらためて感じとれた次第で す。今年度は、そこらの学校が(失礼!)記念式典を行いがちな「30」年という区切りのい い数字になっていますが、私にとっては 1 年 1 年のすべてが記念すべき尊い年です(ので 記念式典などは催しません)。その 1 年 1 年が 30 回積み重なった 2022 年度の表現祭に、 生徒たちははたしてどのような思想をどのような有形のものとして表現してくれるでしょ うか。来場者の皆さんや生徒たちとともに大いに楽しみたいと思います。
2022 Kumon Kokusai Gakuen.